ある歴史
ある日にその当日は歴史上何があったか調べているうちに、全く異なる航空・宇宙開発の歴史を追っていた。
リンクを辿っただけで、網羅性・公平に欠く事は承知のうえだが、自分としては興味深い出来事を追う事ができた。
■1947年10月14日
チャック・イェーガー操縦のX-1Sがマッハ1.06を記録
人類初の有人超音速水平飛行
■1953年11月20日
アルバート・スコット・クロスフィールド操縦の
D-588-21がマッハ2.01を記録
人類初のマッハ2超
■1953年12月12日
チャック・イェーガー操縦のX-1Aがマッハ2.44を記録
(Operation NACA Weep)
■1956年7月23日
フランク・エベレスト操縦のX-2がマッハ2.93を記録
■1956年
アイヴィン・キンチェロー操縦のX-2が高度38,376mを記録
■1957年6月2日
【マンハイ-1】- ジョセフ・キッティンジャーが高度
29,500mによる気球飛行
※プロジェクト・マンハイ
宇宙線の人体への影響を調査するために、
成層圏への気球による飛行実験
■1957年10月4日
人類初の人工衛星スプートニク1号打ち上げ
■1958年1月31日
アメリカ初の人工衛星エクスプローラー1号打ち上げ
■1959年7月14日
Tu-431(Su-15)が高度28,852mを記録
■1959年12月6日
ローレンス・E・フリント操縦のXF4H-1(F-4)が
高度30,040mを記録
※プロジェクト・トップフライト
米軍の高度記録更新プロジェクト
■1959年12月14日
J・B・ジョーダン操縦のF-104Cが高度31,513mを記録
※プロジェクト・トップフライト
米軍の高度記録更新プロジェクト
■1960年8月4日
X-15がマッハ3.31を記録
■1960年8月12日
X-15が高度41,650mを記録
■1960年8月16日
【エクセルシオ-Ⅲ】
ジョセフ・キッティンジャーが高度31,300mから
パラシュート降下
降下最高速度988km/h
※プロジェクト・エクセルシオ
成層圏からのパラシュート降下実験
■1961年4月12日
ユーリー・ガガーリンが乗船した人類初の有人人工衛星
ヴォストーク1号打ち上げ
■1961年5月5日
アラン・シェパードが乗船したアメリカ初の有人人工衛星
マーキュリー3号打ち上げ
■1963年8月22日
ジョセフ・ウォーカー操縦のX-15が高度108kmを記録
(有翼機の最高高度記録)
※188回目のフライトで、ウィリアム・J・ナイト操縦のX-15
がマッハ6.7を記録
(最終フライトが1968年の199回)
かなり際どい実験が、スプートニクやボストーク前後に行われているのだなと。
また実験機での記録達成から3年後くらいに軍用機が達成している。
特に今回の発見だったのは、プロジェクト・マンハイ / プロジェクト・エクセルシオだった。
プロジェクト・マンハイはメタルギアソリッド3のザ・ボス(The Boss)が、ガガーリンより先に宇宙空間へ出て宇宙線により被爆したとのエピソードは、このプロジェクトがモデルになっているように思われる。
また、プロジェクト・エクセルシオは高度100kmからが宇宙空間であるという約束になっているようだから、高度30kmの成層圏からのダイブは宇宙空間とはいえないまでも、実用機では昇れなかった高度から防護服を着てたとはいえ降下したというのは驚きだ。
そして、未だ高高度降下記録と降下速度は破られていないのだという。
アメリカは空軍主導の有翼機による宇宙空間への進出から、NASA主導のロケットによる宇宙開発競争に傾倒していく過程は、「ライトスタッフ」に詳しいが、それでも有翼機による高高度・極超音速の研究が並行して行われていたのも興味深い。
果たして最初に宇宙の入口・地球の縁に立った人は誰なのか。
果たして最初に自らの手で宇宙へ飛んだ人は誰なのか。
ちょっと考えさせられる。
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