映画「パリが愛した写真家 ロベール・ドアノーの<永遠の3秒>」を観て

渋谷のユーロスペースで「パリが愛した写真家 ロベール・ドアノーの<永遠の3秒>」を観る。

「パリ市庁舎前のキス」を意識的に初めて見たのは、たまに行く機会のあった地元近くの居酒屋チェーン白木屋だった。
友人たちとの気のおけない話の合間に視界に入る「パリ市庁舎前のキス」は不思議な魅力を湛えていた。
それがロベール・ドアノーという写真家の代表作であることを知ったのはだいぶ後になってからだった。


本映画は「パリ市庁舎前のキス」を撮ったドアノーの一生を現在ドアノーの版権を管理している孫の視点から描く。

ドアノーは愛のない継母から逃れるように誰もいない空き地で過ごし、版画職人の学校に通っていた。
そんな折、義理の兄からもらったカメラがドアノーとカメラの最初の出会いだった。

学校を出ると、自動車会社のルノーに就職しカメラマンとして最初で最後の会社員生活を送る。
5年後に独立し、家族をモデルに写真を撮っては様々な媒体に売り込んで糊口を塗した。
その後、通信社の写真家集団に属し、生活に根ざした写真を撮る一方で、VOGEを始めとするファッション誌の仕事にも取組んだ。


この時にアメリカの雑誌LIFEからの依頼で「パリ市庁舎前のキス」を撮ることになる。

この写真の被写体になっている男女は実際に交際している劇団員で、当時街頭でキスをすることがなかった時代に自由と愛を謳歌するパリとして掲載されたが掲載当初は特に反響はなく、脚光を浴びるのはそれから30年後の1980年代になってからだった。

フィクションとしての被写体はVOGEを始めとするファッション誌で磨いた技術が生かされて、その被写体を街中に溶け込ませたのはライフワークともいえる市井の人々を撮り続けていた技術が融合された物のように思えた。


ドアノーは既存の概念や思想にとらわれることのない自由な好奇心で被写体に迫っていくが、完全に気配を消した迫り方は被写体に寄り添うように、さらに被写体と同じ方向を見るような視点に潜り込んでいく。

このようにドアノーは「不服従と好奇心」を心がけていたという。

パリの庶民たちの生活に寄り添いながら多くの作品を残したドアノー、「今まで成功した写真はせいぜい300枚。 1枚が1/100秒だとすると、50年でたったの3秒だなんて、すごいだろ!」



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「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」を観て

竹橋の国立近代美術館「茶碗の中の宇宙 - 樂家一子相伝の芸術」を観る。

1. 初代長次郎、光悦の重要文化財が、かつてない規模で揃います
2. 利休が愛した名碗が揃います
3. 樂家450年の伝統と技をご覧いただけます
4. 現代の視点でとらえた初代長次郎はじめ、歴代の「今」をご覧いただけます
 (同展HPより)


樂家の逸品の数々が展示されているが、「茶碗の中の宇宙」という副題の通り、侘び寂びを極めた宇宙観を理解するだけの知識と経験が残念ながら足りない…。
それが分かっただけでも良かったと思うことにした。

トートバック付きの図録を買って知識を蓄え、様々な人生経験を得て来る展覧会に向けて準備をしたいと思う。


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「絵巻マニア列伝」を観て

サントリー美術館「六本木開館10周年記念展 絵巻マニア列伝」を観る。

歴代天皇や将軍が愛好し保護育成に勤しんだ絵巻を、様々な作品とその鑑賞記録によって魅力を解き明かす展覧会。


歴史的事件である蒙古襲来を描いた絵巻から放屁合戦に至るまで、扱う作品の幅は広く個性的。
これらを後白河院を始めとする天皇家や足利歴代将軍は愛好し、保護育成を促した。




絵巻のもつ娯楽的要素が、貴族から市井の人々まで幅広い風俗を伝える資料的な意味合いも持っている。
また、歴史的な出来事に関しても文字と絵によるドキュメンタリーの要素も外すことはできない。




こうした記録には残らない、人々営みによって生まれる記憶が絵巻にはあるし、これらが後世である現在まで残されている事に、蒐集家の情熱と矜持を感じた。


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最近観た映画(2017/4)

■8 1/2

フェデリコ・フェリーニ監督、マルチェロ・マストロヤンニ主演による1963年の映画。

グイド(マルチェロ・マストロヤンニ)は映画監督。
新作の構想を練るグイドだったが遅々として進まない制作に出演者やスタッフの混乱を招き、次第に妄想の世界に入り込んでしまう…。

自殺後のグイドが「人生はお祭りだ。一緒に過ごそう。」と云って全ての登場人物たちが輪になって踊るシーンは印象的だった。

現実と非現実、日常と非日常を特殊効果を用いることなく白黒映画でここまで描ききったのはさすがフェリーニと云ったところだろうか。

この映画が元ネタになった映画が多数あるんだろうなと思わせる傑作。


■ビフォア・サンセット

「恋人までの距離 (ビフォア・サンライズ)」の続編。

前作から9年後、ジェシー(イーサン・ホーク)はあの時のことを書いた小説のプロモーションでパリを訪れた。
書店でのプロモーションでセリーヌ(ジュリー・デルピー)と再会、飛行機が出発する約1時間半まで二人はパリを街を歩きながら語り合う…。

二人の会話は9年間の隙間を埋めるかのように語り合う二人の演技と、一つのシーンが長回しでカットが少なく映画の時間と実際の時間が同じでほぼ1時間半の出来事として撮られいることで自然な会話が成立し、9年間の永遠と1時間半の刹那という相反する事実を見事に描き出している。


■大列車作戦

バート・ランカスター、ジャンヌ・モロー出演による1965年の映画。

連合軍による巻き返しによって敗色が濃厚となっていたナチスドイツ占領下のパリ。
ナチスドイツ軍のワルトハイム大佐は、今後の軍事資金になるとしゴッホ・ゴーギャン・ルノアールといった一流の絵画をドイツへ移送しようと企てた。
兵隊や兵器の撤収に割り当てられるはずの列車を強引に流用したワルトハイムだったが、列車の運行はフランス国鉄のメンバーによって行われており、レジスタンスと連動して様々な妨害工作が横行していた。
しかし妨害工作が発覚する度に実施される見せしめの殺害は列車の実効的な運行に支障をきたすようになり、ついには操車係長のラビッシュ自らが絵画を乗せた列車を運転することになる。
国の誇りである一流の絵画はドイツの手に落ちてしまうのか、レジスタンスの必死の抵抗が始まる…。

フランク・シナトラの「脱走特急」を思わせる列車戦争モノで本作は実話をモチーフにしている。
フランス国鉄のバックアップの元、蒸気機関車をふんだんに用いた撮影はダイナミック。

ワルトハイム大佐は今後の軍事資金になるというのは移送の口実で、敵ながら美術への理解が深い人物という設定。
一方ラビッシュは絵画はあまり解さず、「国の誇り」であるとされた絵画と引き換えにあまりにも多すぎた犠牲との狭間に呆然とするラストが印象深い。


■ガンヒルの決斗

カーク・ダグラス主演による1959年の映画。

保安官のマット・モーガン(カーク・ダグラス)の妻が流れ者二人に強姦され殺された。
息子のピーティが犯人の馬に乗って逃げたため犯人は徒歩で逃走、鞍は残された。
その鞍の持ち主はモーガンの親友であるクレイグだった。
モーガンはクレイグが仕切る街ガンヒルに訪れクレイグに問いただしたところ、クレイグは否定したが息子とその友人の犯行であることが判明。
息子をかばうクレイグ、妻を嬲り殺しにされたモーガン、ガンヒルの街を舞台に抜き差しならない事態へと発展する…。

「OK牧場の決斗」のジョン・スタージェス監督を始めとするスタッフが再結集し制作された作品。
クレイグとモーガンの抜き差しならない関係だけでなく、街はクレイグの息がかかっており、保安官も「先見の明がある」と開き直って言いなり。
しかし、それを良しとしない者もいるが家族がいる手前行動には移せない、といった複雑な関係を見事に浮き彫りにしている。

そしてラストの虚しさ。

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